かぼちゃの行く末

 ブログと言っても、毎日の素朴な出来事を書くほどネタもないので、浮かんだ時にパパパッとアップするのが通例になっていますが、その時々のネタすら浮かんでこず、半ば強引な内容が多いのですが、今日は季節の風物詩の話。

 

 最近のニュースで「二十四節季の現代版の作成が俳句団体らの反発を考慮して断念することに」みたいなのが確かあったんです。

 

 「暦の上ではすでに夏です。」

 

 毎年聞き飽きたフレーズも、結局は現代の気候とマッチできなくなっている証明に過ぎなく、「二十四節季」が生活上必要な情報と言うよりかは、あまりにズレズレ過ぎて、昔を振り返る無形文化遺産化された感が漂います。

 それはそれで文化として残してあっても良いとしてですね、現代は現代の正確な情報として、新しくその気候に見合った季節の区分けの確立があってもいいよなと思っていたので、「現代版の二十四節季作成」は結構ありだなと感じていたんです。

 いつからがだいたい草木が芽吹いて、雨が多くなって、虫が動き始めてって、分かったらなかなかナイスです。

 それがオジャンになったそうなんですが、理由が・・・イカン。

 俳句界の反発を考慮してだそうな。ハイクカイィ?

 

 いや、俳句界からしたら当然の事でしょうから、俳句界を批判しているのではないんです。どこどこから反発が出ていますぅ・・・じゃ、めんどくさいからやめましょっかって聞こえるとこがイカンと思うのです。

 

 民主主義の時代に反対意見があるのは当たり前だから賛成100%を狙っていたら何も出来ません。それが反発されてコロッと断念なんて聞くと、俳句界の裏にもっとスゴイ黒幕が動いたんじゃないかって勘繰りたくなる訳でして。

 

 昔の文化を守り続けるのも大切ですけど、今を作って未来の文化を築く事で発展するとも思うのですが・・・。

 どうでしょうかね。

 

 

 そんでですね、頑なに日本文化を守っているのかと思えば、最近の日本人は文化の改革に対して変な所では寛容になってるようでして。これにも黒幕の存在を感じる訳ですよぉ。マネーマネーの黒幕さんが。

 ここ数年、この時期になると出てきますよね「かぼちゃの化け物」

 なんじゃあれ?くぁわいくもねぇ。

 やたらと店先がオレンジ色になってきたかと思うとあの、歯の抜けたようなヘラヘラ顔のかぼちゃクン。

 

 みなさん、本音で行きましょう。本音で。

 クリスマス(大成功)→バレンタインデー(まぁ成功)→と来ておいての、今回の新作戦かぼちゃの化け物+仮装(ちょっとスベッてねーかな?)

 日本の中ではの話ですよ。

 

 キリストの誕生日にケーキ食べた1週間後に、お寺行って鐘突いて、次の日には鳥居をくぐってパンパンしちゃう柔軟な心の持ち主愛しのジャポネーゼでさえも、今回のかぼちゃクンはなんか乗っかってるようで乗っかってなくないですかね(/_;)

 

 正直、あれ、今年もまだやるの?って思うのはぼくだけでしょうか^^;?

 

 とは言え、そんなぼくも先日かぼちゃのケーキを頂きましたので、マネーマネーの黒幕に一役貢献しているんですが・・・。サンタやチョコレートと、かぼちゃクンを横並びにするのはいささか違和感を感じてなりませぬ。

 日本経済を救う1日にするにはかぼちゃと変装では夢がありません。夢が。

 サンタのプレゼントにチョコレートでの愛の告白チャンス。それに比べちゃ、あの千葉近辺に生息するかわいい黒ネズミ人間にかぼちゃ持たせてもさすがに勝てません。

 そんで10月に31日があるのかないのかも微妙で畑にも出た事ない衆がヘンテコな恰好をして、「ヒャッピィ ヒャロウィン」と言ってる姿はなんともムムムです(p_-)

 

 

 そんなこんなで、なんで現代版二十四節季がダメで、かぼちゃの化け物クンがOKなのかがわからんですってお話しです。すごい強引(笑)

 こうなったら二十四の節季の日に整体をすると願いが叶うとか言う本でも出してみましょうかね。待ってろかぼちゃクン!

 最近、ひねくれ過ぎですかね。歳ですかね(汗)