「基本」ってなんだろう?

 仕事柄、多くの運動部員の学生と交流をもつ機会があるのですが、常々感じる事について私の子供の頃の記憶を交えてちょっと書いてみようと思います。

 

 幼少期に野球を始めると、近所のおじさんがコーチを務めるチームで基本を教わり、彼のスポーツ選手人生が始まります。基本を徹底的に。繰り返し繰り返し。出来るまで。

 これはその競技の足掛かりとして非常に大切な事。

 近所のおじさんコーチも休日の中、半日も指導してくれます。本当にありがたい。いいおじさん。けど結構マジメだから、フライを片手で捕ると怒るんだよね。プロはみんなやってるのに。「お前はプロか!」が決まり文句。

 

 彼はこう思ってた。ボールを捕る時、必ず両手で。グローブに反対の手を添えるようにってのが「基本」。それは知ってるけど、ぼくはフライ捕る時に両手でいくと、手が邪魔して見えにくい時結構あるんだよね。けどさ、片手でしか捕れない際どいフライを、ジャンプしながら片手で捕ると「ナイスキャッチ」って言ってくれるんだ。

 

 バッティングも観戦に来ていたお父さんから、「もっと上から、ボールまで最短距離で振りなさい」って言われてさ。庭で素振りさせられたんだけど、ホントに上から下に振らされて、脚の上げ方まで変えられてシックリこなかったなぁ。お父さんは「よしっ」て満足げだったけど。お父さんの野球歴は少年野球だけって言ってたな。

 次の日の試合、どうしてもシックリこないから元の振り方に戻して振ったらヒット打てたんだ。お父さんビデオ回しながら超喜んでた。

 結局さ、何が正しいの?どんなんでも捕ったり、打てたりすれば褒めてくれるじゃん。

 

 

 指導する者の頭の中には、その競技の理想像ってのがあって、選手をその理想像の枠に収めようとする。この考え方はごく普通なんだけど、問題なのは「理想像」。結局その理想像の出どころが、自分の経験であったり、メディアからの情報であったり、本屋の野球入門であったり。昔からそういうもんだ!って言うもはや出どころも無いものであったり。

 バラバラなんです。まぁでもそれも仕方ない。合わせる方が無理。

 

 ここで私が思うに、指導する側が考えなければいけないのは、その「理想像」は、自分自身が野球をした場合の理想であって、教わる選手、子供たちにとっての「理想像」ではない場合が多々あるのではないですか?と言う事。

 

 考え方や、身体的に個人差があって、昔からの「基本」とされるプレー方法がやりにくいと考えてる子もたくさんいるのです。しかしまだ精神的に未発達な時期は、目上の方の言うままに真似をしていきます。中には、Aコーチの前では、Aコーチに教わった形。Bコーチの前ではBコーチの形に変えてプレーをする子もいます。子供だって気を遣います。

 試合ではAコーチ、Bコーチの2つを同時には出来ません。どっちかって訳にいかないからしゃーない自分の元の打ち方で行っちゃえ!ってヒットを打つとAコーチ、Bコーチからでるのは「ナイスバッティンク!」・・・おい。

 

 

 なんでこんな事を書いたかと言うと、肩、肘が痛いって私の所に来てくれる選手の投げ方を見ていると、昔からの「基本」と言われる忠実なフォームをした選手がなんて多いんだって感じたからなんです。綺麗なフォームなんです。

 綺麗なフォームなのになんで?って思っても、身体を診てみると、関節の硬さも様々、筋肉のしなやかさも様々、なのにみんな同じ投げ方。こういう風に投げるもんだって作られたフォーム。これっておかしくないですか?

 

 もっともっと個人の身体能力を尊重したフォームを確立しても良くないですか?自分の枠にあてはめるだけでなく、選手本人に、どうしたら自分の身体の条件の中で一番効率的な方法な何のか考えさせる自由を与えても良くないですか?って思うのです。

 

 半年前、なんだありゃ?って思われていたファッションも、ひとたび人気が出たら、最先端流行ファッションです。みんなが真似します。野球に限らずどんな事でも、人と変わった

事をすれば異端児扱い。日本人の一番の弱点。周りと同じにしておけば害は無い。

 

 結局それで異端児が結果を出せれば最初は「おい、打ったよあれで」から「え、意外にあれもありなのか?」から最後は「ナイスバッティング!」です。一見風変りはフォームでもケガを減らせて、打てれば何か問題があるんでしょうかね?

 オリックスのイチロー選手出だしの頃ですよね。指差して笑った。でもさ今のメジャーなんて日本からにれば異端児のオンパレード。今やイチローを見ればほっとするアイアムジャパニーズ!

 

 悪い言い方ですが、打てりゃ文句ないんでしょ?抑えればいいんでしょ?の世界。 ケガのしにくいってのが大前提だけど。

 

 

 私の立場でのお願いは指導者の「理想像」の枠に入らないってとこに嫌悪感を持つような事はあってほしくありません。選手に考える力を養う為に、昔からの基本が全て!ではなく、選手自身が考えた「自分だけの基本の確立」を後押ししていただきたいなという事です。野球の限らず、あらゆる事でそれが変な形、方法でも本人が意志を持って考えた事であるとしたら、否定する権利は無いのではないですかな。