「登山が趣味なんです。」とお話しして下さるお客様にご出身地を尋ねると、大概地元の方でない場合が多いです。(当店に限ってのたまたまの話だと思うのですが)
今日の天気は快晴で、西駒も南アルプス方面も本当にきれいに見えました。
前々から思ってはいたのですが、地元(駒ヶ根付近)出身で、今も地元に住まわれていて登山を趣味にされている方って少なくないでしょうか・・・。流行のハイキングではなく、3000m級の方です。
んー、ハイキングを趣味にされている方の少ないのかな。
こんなに美しい山々に囲まれていながらにして、山の名前すら分からない。登った経験の数える程度。不思議です。
で、考えてみたのです。ぼくの場合に限ってなのですが、中学2年生の時に登った西駒登山。最初で最後の宿泊込での3000近くまで登った登山。
あれが完全なるトラウマです・・・。
あれっきり、自力で登ろうと思う思考が完全に遮断されたままです。
当時、ハイマツ帯のちょい手前まで登った所で、土砂降りの落雷ドカドカ。登山道は滝になり、完全サバイバル状態。人生で最初に「死」が自分に迫っていると真剣に感じたのはあの時です。(次が初めて飛行機に乗った時)
結局、引き返して何とか無事帰還したのもつかの間、数日後再びアタックが決定!
「うそだろ・・・」
と、当時の面々でつぶやいた覚えがあります。そして、2回目の登山は無事終わり、
「へぇ登山はもういいぜ」と脳みそにインプットされてしまいました。当時は同じような声が周りでも飛び交いました。
これは西駒登山自体を批判しているのではなく、登山を行うタイミングとしてあの年代でベストなのでしょうか?と言う疑問です。
靴下を洗濯カゴに入れるのでさえも「めんどくせぇ」お年頃の時期に過酷な山登りを行った結果が「もう山には登らない」ではもったいなく感じたのです。
「登山って最高!素晴らしい!また登りたいな」と素直に感じられるのは果たしてあの年代がストライクなのでしょうか?
ぼくは未だに靴下を脱ぎ棄てたままで怒られます。
「出会う」タイミング
タイミングを選べる時はもう大人になってからがほとんどでしょう。
ぼくは最近になってロードバイクに出会いました。
10代の時に出会いたかった。真剣にそう思います。
だけど・・・小学校の規則に書いてありました。
・123年生はバス道路で自転車を乗ってはいけません。で、その下に・・・
・ドロップハンドルの自転車に乗ってはいけません。 とね。
「何で?」と疑問に思う知恵もないほど純粋で良い子だったので、ドロップハンドルの付いた自転車=「悪い乗り物」と思い込み、ロードバイクに乗ってみようなどと夢にも思いませんでした。
これがもし10代の時にロードバイクに出会っていたら、競輪選手でもめざそっかななんて色気も出ていたかもしれません。
物事には早ければ早いほど良い出会いと、自分のタイミングで出会った方が良い事と2つに分かれると思います。
特に小学生、中学生の様に若い能力を発揮させる為に、その子たちの「出会い」のタイミングをある意味握ってしまっている大人が順応に見極めていかなくてはいけないと感じます。